2001年上演作品
明日は天気/
可児君の面会日
12月5日(水) ─ 13日(木)
銀座みゆき館劇場
作 :岸田國士
演出:原田一樹
今回のアトリエ公演は2本立て!
2倍楽しめる事うけあい!
Introduction
岸田國士というリアル
岸田國士という作家は演劇関係者ならばさけて通れない、というイメージが、少なくともかって新劇と呼ばれたわが国の独特のリアリズム演劇のジャンルで教育を受けたか育ってきた演劇人にはあるようで、この例がいいかどうかわかりませんが、たとえば岸田國士は、文学を志すものにとっての夏目漱石、評論を志すものにとっての小林秀雄、映画を志すものにとっての溝口健二か小津安二郎のような存在かも知れません。
しかし、そのワリには、岸田國士の作品研究や多面的な解釈が充実しているという印象は薄く、観客を含めた演劇的な空気が、岸田國士の新演出、新解釈に心踊らせるということもかって無かったし、これからもあまり無いような気がします。
もちろんここで今更、わが国の演劇を取り巻く環境の未成熟、あるいは劇団その他の創作主体の演劇知への認識の低さを嘆いてみようというのではありません。現に、かって三島由紀夫、矢代静一と言う日本を代表する戯曲作家と共に歩んできたNLTが、いまここでもう一度、アトリエ公演というある意味先駆的な場所で、劇団の若手を交えてこの作品を取り上げようというのですから。
一方で岸田國士が派手な扱いを受けないのは、その作品の小市民性にもあるような気がします。
今回取り上げる「明日は天気」にしても、「可児君の面会日」にしても、その舞台に設定されているのは、わが国の近代化しはじめの、脳天気なエア・ポケットのような時代設定におけるプチ・ブルジョアの日常であり、その時間が、無批判かつ無自覚に流れているようにも(一見)見えるのです。
もちろん作品それ自体が、そのように脳天気に無自覚に上演されなくちゃいかんということを強要しているわけではありません。シェークスピア作品やギリシャ悲劇と同様、どのように大胆に演出されようとかまわないはずなのです。
そう、確かにそのはずなのですが、いざ立ち向かおうとすると、作家岸田國士が作品との間に取っている距離が、われわれにその空白をうめてしまうことの野暮さ加減を知らしめて、われわれはいいようの無い脱力感を味あわさせるのです。
かようにして、岸田作品の上演は、ある脱力的な地味さを持って上演されることが多く、結果、わが国の演劇の一つの代表でありながら、避けて通れないにもかかわらず避けて通られてきたという不幸な時間があったような気がしてなりません。
そして今回は、その岸田國士の上演です。脱力的リアリズムを回避するために野暮になるか、野暮にならず脱力を活気に作り替えるか、少なくても無抵抗に岸田リアリズムのなかに埋没することは出来ないと、これはキャスティングに少なくない意見を反映させてもらった演出の責任として、今肝に銘じているところです。
演出 原田一樹
Story
明日は天気(アシタハテンキ)
ある海辺の旅館に休暇でやってきた夫婦。
ところが連日の雨で海には出られず二人の間の雲行きもあやしくなって・・・。
可児君の面会日(カニクンノメンカイビ)
可児君という珍しい名字の小説家。落ち着いて仕事をする為に月に一度1時間だけの面会日を決めた。
さて 来客は・・・。。
Cast
明日は天気


可児君の面会日




Staff
-
作
岸田國士 -
演出
原田一樹 -
美術
松野 潤 -
照明
森田三郎 -
衣裳
伊藤早苗 -
音響
小林 史 -
舞台監督
竹内一貫 -
制作
あとりえ実行委員会